Dear Japan

泉大津産 IZUMIOTSU

国産の毛布は、そのほとんどが泉大津とその周辺地域で生産されていますが、生産拠点が中国など海外にシフトするなかで毛布の生産量が減少し、その規模は年々縮小傾向にあります。しかし、そんな厳しい状況の中にあっても、毛布作りのプロ達が毛布へのこだわり、「こんな毛布を作りたい」という思いまでも失ってしまったわけではありません。これまで培ってきた毛布製造ノウハウ紡績技術を駆使し、納得の素材を使用することで泉大津でしか作れないメイド・イン・ジャパンの国産毛布で産地復権に挑戦しています。

高野口産 KOYAGUCHI

古くから高野口は、高野山への登山口として栄え、高野口という名も、そこから生まれたということです。温和な気候と美しい自然に育まれ、豊かな紀ノ川の流れの中ほどに位置する高野口およびその周辺は明治時代からパイル織(編)物、(別名シール織物・シールメリヤス)の生産地として知られ、日本一の生産高を誇っています。近年は、消費者ニーズに応えるべく新技術、新商品の開発にも取り組んでいます。

三河産 MIKAWA

国産木綿がはじめて文献にみえるのは、永正7年(1510年)で興福寺の大乗院に残っている「永正年中記」に年貢の180文の分として「三川木綿」をとったとして記されています。最初の綿業が根を下ろした土地は三河であり、永正年間(1504年〜1520年)すでに綿織物業がおこり、天文年間(1532年〜1554年)以降、木綿商人は積極的に販路を京都方面に求めたと言われています。江戸時代には、三河地方で棉の栽培と綿織物が盛んとなり、この地方の織物は「三白木綿」として江戸方面に送られ、さらに西洋の技術を取り入れ、明治時代には「三河木綿」「三河縞」というブランド名で知れ渡りました。「質の良い綿織物」としてその後今日まで受け継がれています。

今治産 IMABARI

今治タオルの歴史は、明治27年に阿部平助氏が綿ネル織機を改造して、タオルの製造を開始したことから始まります。現在は織り機台数約4,000台(能力換算)、従業員数約3,000人、年間出荷額は約500億円で、全国生産の60%以上を占めています。質量共に日本一を誇り、日本国内はもちろん世界各地で愛用されています。

近江産 OUMI

琵琶湖が生み出す湿潤な気候と東に位置する鈴鹿山系の湧き水が、この地に乾燥に弱いとされる麻織物産業を育むことになりました。「近江の麻」は風土が生み出した伝統の技術です。「近江麻布史」によれば、その源流は今から500年前の中世の室町時代にまで遡る事ができます。京都の社家や幕府に献上されたものの中に、高宮布(高宮麻布とか高宮細布と称されるもの)の名がみられます。

泉州産 SENSHU

泉州産地の綿スフ織物の歴史は非常に古く600余年前といわれています。江戸時代には「和泉木綿」の名で広く日本国中に知れ渡り、国内の中心的な綿業地帯を形成するに至ったのです。
現在では衣料用織物を始め、工業資材用織物、衛生材料用織物など広範囲にわたる数多くの品種を製織。さらには海外市場への輸出や国内需要に対する素材供給基地としても大きく発展をとげてきました。ニーズに合わせた製品作りとトレンド発信、それがこれからの泉州織物産地の姿です。